歩美は黄色のビートルをピョンと降りた。
今日は少年探偵団の仲間と共に、例のごとく阿笠を保護者として出かけているのだ。
場所は以前にも来たことのある、博士の伯父の家だ。
「わぁ〜。久しぶりだねー、博士の伯父さんの家〜!」
「やっぱり大きいですよね・・・」
「今回は変なヤツいたりしねーよなあ?」
「それは大丈夫じゃよ。あの後、警察が捜査して、それも終わったからのぉ」
阿笠は子供達に笑いかける。
歩美はちらりと、メガネの男の子を見る。変わった名前の子だが、頭が切れる。
彼にはいつも助けてもらっている。
歩美が彼に恋心を抱いたのも当然の事だろう。
――でも・・・。
歩美は次に隣で欠伸をしている女の子を見る。
灰原哀。彼と同じく転校生。赤みがかった茶髪のボブショート。クールで、大人びている。
そして何より、いつも彼と何やら自分には理解のできない難しい会話をしている・・・。
――哀ちゃんは、何とも思ってないって言ってたけど・・・
歩美は気づいていた。最近、哀の彼への接し方が少し違う。
歩美と同じように、彼をちらっと見ていたりするのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
家の中には特に何も無い。歩美達は近くを散歩する事にした。
「散歩しても、この辺何もねぇな」
元太が不服そうに言う。
「でも空気がとてもきれいですよ。それに、知らない町を探検するのって楽しいじゃないですか。
ねぇ、灰原さん?」
「まぁ、暇つぶしにはなるわね・・・」
実際、解毒剤の研究で暇など無いのだが。
「あっ!猫さんだ!」
前方に子猫を発見した歩美はトテトテと走っていく。動物好きな哀も、後からついてくる。
「ニャ〜オ」
人馴れしているようだ。逃げたりしない。
「あら・・・この子、怪我してるわね・・・」
哀が示す所を見ると、毛の下にかさぶたがある。
「本当だ・・・かわいそう・・・」
後から来た元太が猫に覆いかぶさるようにこけた。猫はすばやく飛びのき、走っていってしまう。
「あっ、待って!」
歩美は思わず後を追う。
「大丈夫よ、かさぶた程度だから」
哀が言うのも聞いていなかった。そのまま猫を追い、角を幾つか曲がる。
皆も慌ててついていく。右、左、右、右、左、右、左、左、右・・・。
とうとう猫を見失ってしまった。どこかの家の庭に入り込んだのだろう。
「あ〜あ・・・」
歩美はため息をつき、後ろを振り返る。
そこには、1人しかいなかった。
江戸川コナンだ。
「あれ・・・?皆は・・・?」
「え?」
コナンも後ろを振り返る。そこは誰も通らぬ住宅街。
「はぐれちまったみてぇだな・・・」
「ウソ・・・」
皆が歩美を追って走り出したのは、歩美がさっきの通りの突き当たりを曲がってしまってからだ。
その時既に、300mほど離れていた。相手が小学生とは言え、見失っても仕方が無いだろう。
むしろ、コナンが見失わずについて来た方が凄い。
「ったく・・・じゃ、この家の人に道でも聞くか。博士の伯父さんちの住所を言えば、わかるだろ。
そこに戻れば会えるんじゃねぇの?」
そう言って、愛用の手帳を取り出す。その手を、歩美は止めた。
「え?」
「わたしのせいではぐれちゃって、ごめん・・・。でも、もう少し2人でいたいの・・・」
「あ、ああ・・・」
コナンは手帳をしまったが、こっそりメガネのボタンを押す。
メガネに浮かび上がる5つの点。自分を含める少年探偵団のバッジの発信器のものだ。
範囲を縮小すると、他の3人は阿笠の伯父の家に向かっている事がわかった。恐らく、阿笠も一緒だろう。
「じゃあ、こっち行くか」
コナンは3つの点が光る方へ向かう道を示した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
眼鏡の範囲では近く見えたが、歩いてみると大変だった。
道はほとんどがカーブを描いていて、気がついたら逆方向へ進んでいたりするのだ。
「ったく……まるで迷路だな」
コナンは思わず、愚痴を言う。
ふと、歩美の足が止まった。
「どうしたの?歩美ちゃん。疲れた?」
歩美は顔を上げ、コナンを正面から見据える。
「コナン君、聞きたい事があるの……!」
歩美の顔は、いつに無く真剣だ。
その気迫に気圧されて、コナンは頷いた。
「コナン君と哀ちゃん……何かあるの?」
「へ?」
「だって、だって。コナン君、いつも哀ちゃんと何か難しい話してるじゃない。
二人の世界って言うか……」
もちろん歩美は、まさか以前光彦が同じ質問を哀にした事は知らない。
コナンも、まさか以前哀が同じ質問を光彦にされた事は知らない。
「何言ってんだよ。何にも無いよ、灰原となんて」
『灰原となんて』。では、彼女以外とならあるのだろうか?
――哀ちゃん以外で、コナン君に近い人物……
歩美の脳裏に、頭に三角形の突飛がついた女子高生が浮かぶ。
これ以上考えてはいけない。
追求してはいけない。
歩美はとっさにそう思った。取り返しのつかない事になってしまう気がした。
「難しい話って言っても、以前遭遇した事件の事を話してるだけだよ。
アメリカでの、未解決の事件とか。ホラ、灰原ってハーフだろ?」
「そうだね」
コナンは上手くごまかせた、と自分でも思った。歩美はもう、疑っていないだろうと。
当の歩美は、コナンに距離感を感じていた。コナンは自分達と同じでは無い。哀も同様に、自分達とは違う。
でも、だからこそ、彼が気になるのかもしれない。彼に惹かれるのかもしれない。
人は、自分に無いものに惹かれるものだから。
いずれ彼は、自分の許を去るだろう。歩美はそんな気がしてならなかった。
でも、今は。
今は一緒にいたい。彼と一緒に。これが恋なのだな、と思う。
歩美はコナンの手を握った。
「えっ?歩美ちゃん!?」
「へへへ」
歩美は思わず笑う。
彼の手は温かい。離したくなくなってしまう。別れたくなくなってしまう。
「もし、どっかに行っちゃう時は、連絡先教えてね?」
コナンは一瞬、驚く表情を見せたが、フッと微笑んだ。
「ああ、もちろん」
この子の気持ちには答えられない。自分には待たせている女性がいるから。
ずっと前から、彼女が好きだから。
でも。
この子に、どんなに救われている事か。
コナンは歩美の手を握り返す。
「さあ、歩こうか」
「うん!」
2人はまた、歩き出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夕方、ようやく皆に合流した。
「みんなー!」
歩美はコナンから手を離し、大きく振って皆の許へと駆けてゆく。
「歩美君!それに、新……コナン君」
「歩美ー!コナンー!」
「全く……心配したんですよ」
「良かったわ……無事で」
博士、元太、光彦、そして哀までもが、優しい声をかけてくる。
「ごめーん」
歩美はニコニコと笑う。
幸せを感じる。皆に出会えて、本当に良かった。この中にいる事ができて、自分は本当に幸せ者だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
車の中、歩美はじっと自分の手を見つめていた。彼と握った手。彼は、握り返してくれた。
「あら……何かあったの?」
哀が歩美の顔を覗きこむ。
「へへー。内緒だよ〜」
歩美はいたずらっぽく笑った。
コナンと哀の間に秘密があるのなら、自分だって秘密があってもいいはずだ。
〈「Sweet Holiday」終わり〉